平凡が目標ではいけませんか?

池江璃花子さんの言葉が一部で物議を醸しているようですね。

私は彼女自身に対しては批判的な考えを持ってはいないのですが、勝手な意味づけをしようとするマスコミの取り上げ方に対しては、ちょっとひねくれたことを考えてしまいます。

平凡が目標ではいけませんか?

  1. 池江璃花子選手が白血病から復帰して、快挙を成し遂げた。
  2. レース後のインタビューで彼女は「努力は必ず報われる」とコメントした。
  3. 彼女の偉業に多くのがん経験者も勇気づけられた。

私が見ていたNHKのニュースでは、要約すると上記のような伝え方をしていました。

 

1.快挙

1については、単に事実を伝えているだけですね。

私はただ「すごいなぁ」と思うばかりで、文句を言う筋合いのものではありません。

 

2.努力

ネットで物議を醸しているのは2に挙げた彼女の言葉についてですね。

「勝者でない人の努力は報われていないことに」なるという批判的な解釈があるようです。

 

どんな解釈をするのも自由ですから、そのような解釈を否定するつもりはありませんが、私は彼女の言葉に悪い感情は抱きませんでした。

 

私の率直な感想としては「そりゃぁ、すごい努力をしたんだろうけど、圧倒的な素質の差を感じちゃうなぁ」というものですが。

 

でも、きっと私なんかの想像をはるかに超えるような努力をされたのでしょうし、彼女自身が考えていた以上の結果だったようですから、「努力が報われた」と思うのは自然な感情でしょう。

 

むしろ、これぐらいのことで騒ぎ立てることで、アスリートの率直なコメントを聞けなくなってしまうことの方が残念だなぁと思います。

まぁ、既にそうなっていると言えますが。

 

3.勝手な意味づけ

私が物申したくなったのは3についてです。

きっと多くのがん患者や経験者が彼女の偉業に勇気づけられたことでしょう。

それは事実だと思うのですが、それをあえて報道する意味があるのでしょうか。

何か裏の意図があるのではないかと、うがった見方をしてしまうのです。

 

例えば、街頭インタビューでその種のコメントを取れたのでしたら、自然な流れでしょう。

でも、NHKはがん患者や経験者のために活動しているNPOのところに取材に行って、コメントを取ってきていました。

 

それらのNPOに光が当たることは良いことでもありますから、一概に否定することもできませんが、「彼女がすごいことを成し遂げました」に加えて「それってこんな意味を持つんですよ」とまで言うのは、私にはおせっかいに感じらます。

 

誰に向けてのメッセージなのか

「勇気づけられた」と感じた人たちは、NHKにそんなことを言われるまでもなく、勇気づけられたはずです。

それをわざわざ取材して伝えるのは、がんとは無縁の人たちに向けて「ほら、彼女のやったことってこんな意味を持つんですよ。彼女ってすごいでしょ? オリンピックにも出るんですよ。オリンピックに反対なんかしてていいんですか?」と言っているように私には感じられます。

もしも、そういうメッセージを発したいのならば、彼女の快挙に便乗するのではなく、真正面から正々堂々と主張していただきたいと思うのです。

 

感動ポルノ

また、いわゆる「感動ポルノ *1 」に似た、がん患者に対するステレオタイプを押しつけられるような息苦しさを感じます。

 

がん患者って、何か崇高な、あるいは困難な目標に向かって、前向きに努力しなければならないのでしょうか。

ただのんびりと平穏に暮らすことを目標にしていてはいけませんか?

どんながん患者も「清く正しいがん患者」であることが求められるのでしょうか。

 

平凡さえも困難

がんにかかると、心も体も深く傷つきます。

普通の人が普通にできることがとても困難になるのです。

平凡に暮らすという目標を達成するためだけにも多大な努力を要するのです。

前向きになれないことだって、当然あります。

 

でも、件のニュースの取り上げ方は、そういったことを理解した上でのものとは思えませんでした。

がん患者のことなどそっちのけで、「池江選手をヒロインとして祭り上げ、オリンピックへの機運を高めるために、がんを利用した」と思えてしまうんです。

 

「日常」を取り戻すということ

最後に改めて書いておきたいのは、池江選手自身に対しては何の文句もないということです。

 

池江選手は元々トップアスリートだったのですから、より良い記録を求め、オリンピックへの出場を目指すことが、彼女にとっての「日常」だったはずです。

その「日常」を取り戻すことがどれほど困難だったか。

 

平凡な私の妻が、平凡を取り戻すためにどれほど苦労しているのかを間近で見ている私としては、池江選手が彼女にとっての「日常」を取り戻せたことを祝福するとともに、その偉業に大いに勇気づけられたということを申し述べておきます。