ワールドカップと妻の思い出
ワールドカップの決勝戦をテレビで観ました。
そのために早起きしたというよりも、早起きしちゃったので観たという感じですけど。
妻と結婚したのは日韓共催のワールドカップの年でした。
初発のがんが見つかって、手術のために入院していた頃と本大会が重なり、回診の最中にもテレビをつけたまま医師と会話したそうです。
若手の医師もテレビが気になってチラチラ見ていたとか、笑いながら話していました。
妻はその前の大会から、アルゼンチンのバティストゥータ選手のファンだったので、日本代表の試合と同じくらい、アルゼンチンの試合も楽しみにしていました。
深刻な状況のはずなのに、のん気な話ですよね。
手術は成功し、それから幾度かのワールドカップを一緒に視聴しました。
二人とも熱狂的なファンというほどではありませんでしたが、それなりに楽しんでいました。
「5年生存率」などという怖い言葉も乗り越え、10年が過ぎ、もう大丈夫だと思った頃、再発していることが分かり、その後はそれまでと同じようにはスポーツイベントを楽しめなくなりました。
次の開催の時期まで生きていられるだろうか・・・このイベントを最後まで見られるだろうか・・・妻はいつもそんなことを口にするようになりました。
そして私も、純粋に楽しむことができなくなりました。
妻の言葉のせいではありません。
目の前で運命に抗おうとしている人がいるのに、どこか遠くの箱庭で、自分とは関わりのない人たちによって行われる、生き死にとは直接の関係がないゲーム・・・そういうのを見ることが、虚しく感じられるようになってしまったからです。
スポーツに熱中し、応援することで活力が湧く人もいることでしょう。
でも私は、スポーツを見る気力さえ失われていた状態でした。
あまりそれらの情報に触れないようにしよう・・・と思っても、テレビをつければ洪水のように情報が流れてきます。
私はスポーツへの関心自体をさらに薄れさせることで、心を保つことにしました。
そして、前回のワールドカップ。
妻はそれを最後まで見届けることなく旅立ちました。
テレビで流れる、カタールでの熱狂を冷めた目で見ながら、私はワールドカップと妻との思い出が切り離せなくなるだろうと感じていました。
あれから4年が過ぎ、今でもかつてのように熱心にスポーツを観戦することはできません。
でも、せっかく早く目が覚めたのだから、決勝戦ぐらいは見てみようか・・・と思えるぐらいには気力が戻ってきたのだと思います。
次のワールドカップはどんな気持ちで見ることになるのか、あるいは見ないのか、それはわかりませんが、行きつ戻りつしながらも、時が経てば心は回復していくものなのかなぁ・・・と感じています。