妻の再発が分かってからは、将来のことを妻と話すことが難しくなりました。
1年後のことを話題にするのも躊躇します。
ましてや何年も先のことなど、極力自分からは話さないように気を付けています。
例えば庭に植えた多年草が花を付け、しおれていく様を見るとき、「また来年・・・」という話になるのは自然な流れだと言えるでしょう。
でも、妻にとっての1年後は確実性に乏しく、気軽に話題にできるほど近い将来とは言えないのです。
少し前のことになりますが、「定年の延長」というニュースがありました。*1
その頃、妻は、私はどうなっているのでしょう。
妻にとっては、例えば100年先の未来予測のような、現実感のないニュースであり、軽く聞き流してしまうような、意識にのぼらないような、そういう類のニュースかもしれません。
1年後のことさえもほとんど考えない、あるいは考えられないようになっているようですから。
私にとっては、気が重くなるニュースです。
もしもできることなら、早く仕事を辞めて、妻に寄り添う時間を延ばしたい・・・、そう思っても、治療その他にかかる費用のことを考えれば、簡単に辞める訳にはいきません。
現行の定年まであと何年・・・延長になるとするとさらに・・・と考えることもありますが、2人の未来としてはあまりに遠いという辛い現実に向き合わなければならなくなります。
例えば、2通りの将来像を描くとすると、一方はあまりに楽観的に過ぎ、もう一方は必然的に辛い将来像となるため、気が重くなってしまうのです。
このニュースが出た頃、同僚たちが良かったとか悪かったとか気楽に話していましたが、私は曖昧に微笑みながらやり過ごしました。
本音を言っちゃうと、雰囲気を悪くしちゃうでしょうからね。
でも、こんなことでいつまでも落ち込んでいては、まともに生活することができなくなります。
そこで、私がどのように対処しているかというと・・・ズバリ、「あまり先のことは考えない」、これに尽きます。
「来年のことを言うと鬼が笑う」と言いますしね。
ましてやさらに先のことなんて。
綿密に計画を立てたところで、その通りに事が運ぶとは限りません。
妻のことにしたって、術後10年も経過して再発するなんて、思ってもみませんでしたから。
というわけで、あまり先のことは考えず、取りあえず「今日すべきこと」に集中し、それが終わったら「今日できること」を考える・・・それを日々繰り返すようにしています。
先の見通しを持っていようがいまいが、「今日すべきこと」と「今日できること」にはさほど影響はないと思うんですよ。
・・・と簡単そうに書いてみましたが、このように考えられるようになるまでは、けっこうな時間を要しました。
もしも、いま現に悩んでいる方がこれを読んでいましたら、すぐに考え方を変えようと焦ってしまうと、かえって苦しくなるかもしれません。
「焦らず少しずつ」が良いのではないでしょうか。