妻の実家に菓子を送った。
一周忌に合わせて香典をもらっていたので、その返礼として、妻と買い物に行くたびに買っていたメーカーの菓子の詰め合わせを送ったのだ。
数日経って、義母から電話があった。
体調がすぐれないと聞いていたが、元気そうな声だ。
「この度は娘が好きなお菓子を贈っていただいて・・・」
「はい、とても好きだったんですよね。」
と言った途端に、義母の声のトーンが変わった気がした。
しまった、と思ったが、もう遅い。
現在も生きているように感じている義母に、私は既に過去のことなのだという現実を突きつけてしまったのだ。
妻は大学に入った時から実家を離れて生活していた。
頻繁に里帰りしていたのは、実家の近くの大きな病院に通院していた時だ。
妻の姿が見えない時のほうが、むしろ正常な状態と認識されていたのかもしれない。
一方の私は、一人暮らしには少し広すぎるこの家で、常に妻の不在を実感しながら1年を過ごしてきた。
「好きな」と表現した義母に「好きだった」と返してしまった私の間にあるのは、そういった違いなのだろう。
その夜、久しぶりに妻の夢を見た。
夢の中で、私と妻は特に意味のない、とりとめのない会話をしていた。
それは記憶の単純な再生ではなく、過去の記憶と最近の出来事が融合して、新たに構築された会話だった。
夢の中では、私にとっても時々「現在」になってくれる。