迷うための時間

NHKの朝ドラ『おかえりモネ』を観ています。

と言っても、土曜日のダイジェスト版ですが。

先週、がんに関する話題が出て来て、最初は「またかよ」とうんざりしていたのですが、よく見られるようなステレオタイプな描き方ではなく、共感できる内容になっていました。

 

テレビでがんやその他の難病が取り上げられるときに最も嫌なのは、悲劇に仕立てるための道具として安易に使われる場合です。

そういう時は、直ちにチャンネルを変えるようにしています。

 

その次に嫌なのは、「清く正しい」患者が描かれている場合です。

たとえ「清く正しい」とは言えない人物だとしても、病との向き合い方は「清く正しい」ものであったりするので、葛藤を抱えながら闘病している患者やその家族にとっては、辟易してしまうことも少なくないのではないでしょうか。

少なくとも私たち夫婦はそうです。

 

私が朝ドラに求めているのは、「がん患者に寄り添ってくれる」ことではなく、「がんのことを忘れさせてくれる」ことなので、正直言って今回も積極的に肯定しているわけではないのですが、先に挙げた嫌な取り上げ方ではなかったので、消極的にではありますが肯定しています。

 

共感できたのは2点です。

 

その1つは、「一日でも長く生きたいって思う日もあれば、もう終わりにしたいって思う日もある。当然です」という台詞。

 

うちの妻もよく心が変わります。

ドラマでは「もしそんなふうに毎日考えが変わってしまうなら」という台詞が続いていましたが、妻の場合はもう少し長いスパンで変わります。

 

現在の治療のサイクルである3週間のうち、副作用が辛い初めの1週間は弱気になって、「もう終わりにしたい」と口にすることがあります。

そういう言葉を聞くと、どんな言葉をかければ良いのか、困ってしまいますが、「そんなこと言わないで・・・」と静かに励ますようにしています。

 

副作用が抜けてからの1週間は前向きになり、私を安心させてくれますが、その後に続く1週間は、治療が近付いてくる不安から再びネガティブになってしまいます。

 

つまり、前向きなのは3分の1の期間だけなのですが、その時の姿が本来の妻なのだと信じて、それ以外の期間は妻の後ろ向きな言葉に過敏に反応しないように心がけています。

 

先に引用した台詞には、次のような台詞が続きます。

「もしそんなふうに毎日考えが変わってしまうなら、結論を先延ばしにできる治療を続けておきませんか。積極治療っていうのは、明確な目標を掲げた前向きな治療のことばかりを言うんじゃないと僕は思うんです。迷う時間を作るための治療だと思いたいです」という言葉。

 

よく取り上げられるがん患者の態度は、「明確な目標を掲げた前向きな治療」であると言えるでしょう。

それは多くの人の感動を誘うのかもしれませんが、私にとっては「感動ポルノ」の一種ではないかと思えるのです。*1

 

「迷う時間を作るための治療」というのは、「清く正しい」治療とは言えないかもしれません。

でも、なかなか前向きになれずに日々葛藤しているがん患者も必ずいるはずです。

 

今回のドラマの作者は、もしかしたら身近にそのような人がいるのか、それともしっかりと調べた結果なのか、あるいは想像力の賜物なのかは分かりませんが、いずれにしろ、よくある安易ながん患者の描き方とは違って感じられました。

 

そう言うわけで、いつもはがんや難病の話が出てくると視聴を止めることが多いのですが、もう少し続けて観てみようと思います。

 

まあ、本当は病気の話はあまり出さないでもらいたいのですけどね。