一周忌から一夜明け、いつもと変わらない日常を過ごさなければならなくなった。
いつものように仕事へ行き、帰宅していつものように過ごす。
寂しさは消えないが、声を上げて泣くことはなく、平穏なふりをして過ごしていた。
そして、毎週のルーティンとして可燃ごみをまとめていると、ごみ袋に少し余裕があったので、残っていた妻の薬を処分することにした。
大量に残っていた妻の薬は既にあらかた処分していたのだが、見落としていた引き出しがあり、最近になってふとしたきっかけで発見したものだ。
引き出しの奥まで手を入れて、薬の袋を引っ張り出すと、一番下から私宛ての手紙が出てきた。
まるで、1年後に見つかるようにと計算していたかのようなタイミングだ。
いたずら好きだった妻の最後のいたずらかもしれない。
親族や友人への手紙を託されていた私は、自分自身への手紙が無いことに多少の切なさを感じていた。
私への手紙を私自身に託すことはできないから、仕方のないことだ。
手紙など無くても、十分に話したから、それで良いのだ・・・と言い聞かせていた。
まさか、こんなところに手紙を隠しておいたなんて。
手紙の内容は嬉しくもあり、悲しくもあり、また声を上げて泣いてしまった。
もう声を上げて泣くことはしばらくないだろうと思っていたのに。
いろんな思い出があるけれど、一番楽しかったのは休日の散歩。
私も同じように感じていた。
日付を見ると、亡くなる1年ほど前に書いたようだ。
どんな思いで最期の1年間を過ごしたのだろう。
私も妻に感謝をきちんと伝えたかった。
こんな形で自分の思いを私に伝えたのに、私の思いは伝えさせてくれないなんて、不公平じゃないか。
相変わらず、再婚を勧める言葉なんかも書いてあるけど、簡単にそんな気分にはなれないよ。
何度もそう言っておいたのに、ほんとにばかだなぁ。
悲しいよ。本当に。