別れを告げる日

グリーフ体験記⑨

 

 

別れを告げる日の朝も葬儀場で目覚めた。

 

前夜、かなり寝つきが悪かったのだが、その原因が薬の飲み忘れであることに朝になって気づいた。

 

薬の飲み忘れなんてほとんど無かったし、忘れた時も大抵は寝付きの悪さで気づいて、飲まないまま朝を迎えたことはそれまで無かった。

 

ショック状態にある時は、いつも当たり前にできていたことができなくなることがあるようだ。

そういえば、妻のメイク道具を自宅に取りに戻った時、いつもは無意識レベルで操作していた電灯のスイッチの配置が分からなくなって、意図しない位置の電灯を点けたり消したりしてしまった。

 

しばらくすると葬儀社のスタッフがやってきて、朝食の用意をしてくれた。

伝統的には親戚とか近所の手伝いが担っていたのだろうが、今は料金さえ払えば、スタッフがやってくれる。

 

家族とともに食卓につき、ご飯を口に入れると、久しぶりに味を感じた。

他人が作ってくれたからなのか、家族と一緒だからなのか、それとも通夜を終えて自分自身に何か変化があったのか、理由は不明だが、単なる栄養の摂取ではない食事というものを摂ったのは久しぶりだった。

 

食事を終え、ホテルに宿泊していた義母と義兄が到着して、告別式を行なった。

 

告別式のことはあまり覚えていない。

いよいよ別れを告げるのだと思うと、ただただ悲しくて、ひたすら泣いていた。

 

喪主として最後に挨拶をすることになっていたが、身内しかいないし、短いもので良いだろう。

「遠いところをお集まりいただき、ありがとうございました。」

・・・と、短く一言だけ言うつもりだったが、それさえもままならず、声にならないような声で「ありがとうございました」と絞り出すのがやっとだった。

 

儀式を終え、火葬場へ向かった。

人数が少ないので、黒塗りのハイエース1台に全員が乗ることができた。

 

火葬場は私の職場と同じ方角にある。

いつも自動車で通勤しているルートをいつもとは全く違う気持ちで通ることになった。

 

道中、今どこを走っているのか、母が棺に向かってしきりに話しかけた。

その度に返事が返ってくるはずのないことを思い知らされ、悲しくなった。

忌引き明け、ちゃんと出勤できるだろうか。

 

火葬場で棺を閉じる前、最後の別れを告げることになった。

喪主からと言われ、棺の方に回り込み、妻の頬にそっと手を触れた。

 

そして、後に続いた義母や義兄も妻の顔に手を触れた。

だが、妻の身体に最後に触れるのは自分でありたい。

全員が別れを告げた後で、自分だけ再び妻の頬に手を触れに行った。

 

それからしばらく火葬の順番を待つことになったのだが、思ったよりも時間があった。

妻の顔を再び見たい、手を触れたいという気持ちが湧いたのだが、自分がもう一度行けば、義母や義兄も行きたくなるかもしれない。

そうすると、自分が最後になれない可能性が生じる。

そう考えて、じっと座っていることにした。

 

妻が炉に入る順番が来た。

電動の台車に続き、遺族が炉の前に集まる。

そして、妻を炉に納めた。

 

隣の義母は泣きながら合掌していた。

私はゆっくりと閉まっていく扉を見つめながら、妻が乳がんの摘出手術をした時のことを思い出していた。

 

あの時は、これからどうなっていくのだろうという不安と、きっと治るという希望を持って、手術室に入る妻を見送った。

妻は手を振っていた。

 

今は妻は手を振ってくれない。

でも、妻はもう病に苦しむことは無いのだ。

 

再発してからの妻はとても辛そうだった。

「早く終わりにしたい」とよく言っていたが、そんな妻ががんばってくれたのは、きっと私のためだったのだと思う。

「あなたがいなければ、とっくに治療をやめているよ」と時々言っていた。

 

「ありがとう。お疲れ様。」

私は心の中で呟いた。