妻からの手紙

グリーフ体験記⑦

 

 

納棺まで少し時間があったので、義母と義兄を遺族控室に案内し、妻からの手紙を渡した。

 

再発が分かって間もない頃、妻はパソコンで遺書をしたためていた。

当時、時機を見て渡して欲しいと託されていたのだが、それから6年近く経ち、書き直したいという思いを妻は持っていたようだ。

 

だが、長く机に向かう気力と体力は失われ、母への短い手紙を小さな便箋に書くのがやっとだった。

兄に対しては、自分の希望に沿って葬儀を打ち合わせた旨をメールで簡潔に伝え、6年前の手紙は不要だと言い遺していた。

 

私が妻の遺志に反した行動を自ら選んだのは、多分これだけだ。

妻がせっかく書き遺していたものを、本来それが宛てられた人に渡さずにおくのは、とてももったいないように思われた。

遺された者の悲しみを少しでも癒やす一助となるであろうし。

 

妻の手紙は、私の両親、妻の母と兄の他、親友に宛てたものがあり、私宛てのものは無かった。

私に対しては、直接伝えられるから不要だと思っていたのだろうか。

 

だが、妻が入院したあの日、明日もまた会えると思ったまま、それらしい言葉を交わすことなく別れ、再会した時は既に妻の意識は無かった。

最期の言葉は「またね」だったか、私の「またね」に対して「うん」と言っただけだったか、あるいはただうなずいただけだったか。

 

私に対して直接語られることは無かったが、妻が遺した手紙には「充実した結婚生活だったので、悲しまないで欲しい」という内容が綴られていた。

 

それはそれぞれの手紙が宛てられた者たちへの妻の思いやりの表れなのだろうが、プリントアウトするときに私が読むであろうと見越して、照れ臭くて直接言えなかったことを間接的に伝える意図もあったのかもしれない。

 

ともかく、妻が記したことがすべて本心だったのかは分からないが、短くとも幸せな生涯だったと私たちの記憶に書き加えられ、あるいは上書きされた。

 

私の記憶の中で、妻は幸福そうな姿で生き続けることだろう。

しかし、それは裏を返すと、私に関する最も重要な記憶媒体が永遠に失われたということを意味する。

 

妻が親友への手紙に添えるために書き遺していた手記には、私との思い出を中心に妻の経験が書き記されていたのだが、私自身の記憶が曖昧になっていることや、覚えてさえいなかったことなどが記されていた。

そうして遺された記録の他に、記されなかった記憶がもっとあったことだろう。

 

例えば、再発後のある夜、月が綺麗だからと妻を外へ連れ出し、一緒に眺めたこと。

そのことは私も覚えているのだが、妻は生前、その日付まで克明に記憶していると言っていた。

死を覚悟していた妻にとって、日常の些細な出来事もそれが最後になるかもしれないと、常に記憶に刻み込んでいたのだろう。

 

日付を覚えるのが苦手な私は、どうしてもそれがいつのことだったか思い出せない。

妻の手記は再発が判明したところで、それ以後は辛くて書けないという言葉で結ばれていた。

 

妻は日付まで覚えていたという記憶は残り、その日付の記憶は失われた。

そのこと自体は大きな意味を持たないが、私自身の記憶を補完する最大の存在が失われたことを象徴的に表している。

 

私を至近距離から、かつある程度客観的に観察してきた記憶は、私が何者であるのか、どんな人間であるのかを教えてくれるもの・・・それは即ち、私自身の一部であったとも言えるだろう。

つまり、妻の死とともに、私の一部も死んだのだ。

 

しかし、妻の遺した手紙と手記は、それを私に想起させると同時に、永遠に失われるはずだった私の一部を再生させてくれるものでもある。

それらは私宛てのものではないのだが、私のために遺されたものでもあると、私は思っている。