グリーフ体験記⑥
昼過ぎ、妻の母と兄が葬儀場に到着した。
義母は挨拶を交わすなり妻の枕元に座り込み、「目を覚ましてちょうだい」としきりに繰り返した。
お義母さん、残念ですがもう目を覚ますことはないんですよ・・・
私は心の中で呟いた。
肉体は目の前に確かに存在しているのに、生命活動は停止している。
生者との違いを示すのは、ただ肌の冷たさだけだ。
この状態を表現するには、「魂」という言葉が必要なように思われた。
約6年の闘病の跡は顔にはほとんど表れず、妻はまるで眠っているようにしか見えない。
目を覚まして欲しいと義母が口に出すのも無理からぬことだった。
最期を看取り、各所への連絡や葬儀の手配をして既に1日が過ぎた私と、今まさに対面したばかりの義母とでは、涙の意味が違っていた。
再発が分かり、死を覚悟した妻が最も心配していたのが義母のことだった。
娘に先立たれた母の心痛はいかばかりか、それだけが心配だと何度も口にしていた。
自身の葬儀に対する希望も、義母への気遣いが反映されたものだった。
できるだけ費用をかけないで欲しいが、母のために通夜と告別式は別日にして欲しい。
そして、花は多めに。
それが妻の願いだった。
義母の姿を見ると、妻の心配が現実のものとなったことを思い知らされ、涙が溢れた。
たくさんの花で少しは悲しみを和らげることができているだろうか。
常に通院に付き添い、徐々に病状が進行していく過程を見てきた私と、突然、入院するほど病状が悪化していると告げられ、その翌朝に死を伝えられた義母との間には、死を受け入れるプロセスに大きな違いがあるだろう。
母に心配をかけたくないからと、妻は詳しい病状を伝えないようにしていたが、果たしてそれで良かったのか。
答えは分からないが、約6年、ずっと強いストレスに晒されてきた自分のことを振り返り、義母にそれだけのストレスを与えることは、やはり避けるべきだったのだと思うしかない。
そして、妻の顔に手を触れる義母を見ながら、私は別な思いも抱いていた。
妻には誰にも触れて欲しくない。
そんな独占欲が前触れなく湧いてきた。
魂の抜けた妻の肉体が、まるで自分の所有物であるかのような錯覚を覚えたのかもしれない。
だが、妻の母への思いを考えると、義母には好きなようにさせてあげなければならない、そう自分に言い聞かせた。
その後、義母に代わって義兄が妻に声をかけ、手を触れた。
肉親とは言え、妻が異性に触れられるのを見たくはなかった。
これから極楽浄土へ送る宗教的な儀式を行おうというのに、いまだ自分のものにしておきたいという世俗的な執着心を抱く自分が嫌だった。
だが、現世に残る私が執着を捨てられないのも仕方のないことだ。
せめて最後に触れるのは自分でありたい。
2人が離れた後、そっと冷たい顔に触れ、ずれかかっていたウィッグを直した。