グリーフ体験記⑤
葬儀場でも眠ることはできた。
常用している薬が効いてくれたのだろう。
妻の再発が分かってから寝付きが悪くなり、睡眠のリズムを整える薬を常用するようになっていた。
翌朝は外がまだ暗いうちに目が覚めてしまった。
起きても特にすることはない。
夜に備えてもう少し眠っておきたいと思い、しばらく粘ってみたのだが、いつものように二度寝ができない。
仕方なく起床することにして携帯の時計を見ると、医師が妻の死亡を確認した時刻ぴったりだった。
ただの偶然か、体内時計が働いたのか、不思議なことがあるものだ。
朝食として買っておいたコンビニのおにぎりを食べる。
1個で満腹になってしまった。
妻が入院して以来、食欲が落ちている。
空腹は感じるのだが、少し食べるとすぐに満腹を感じてしまう。
だが、必要なエネルギーを摂取できていないので、変な時間に空腹になり、腹が鳴り始めるので、何かを食べて抑える。
傍から見ると、悲しまずに平気で食べているように見えるだろうか、それともストレスで食欲が暴走しているように見えるだろうか・・・などと考えながら、食べ物を口に入れる。
と言っても、周りにいるのは自分の血縁だけなのだが。
妻の血縁が到着するまではまだ時間がある。
いったん自宅に帰って、妻の気に入っていた洋服を取って来ることにした。
棺に入れるためだ。
妻に頼まれていた愛犬の写真は既に用意していたのだが、ふと妻が洋服を買うのが好きだったことを思い出し、入れてやることにした。
現在は斎場の規則により着せてやることはできないそうだが、足元に入れてやることはできるらしい。
それから、再発以来ずっと持ち歩いていた病気平癒のお守りも入れてやろう。
妻はもう病気に悩まされることはない。
妻にとっては不要のものだが、妻が頑張った証として一緒に送ってやろう。
葬儀場へ戻る途中、郵便局に寄った。
葬儀費用をおろすためだ。
このキャッシュレスが進んだ時代にカードが使えず、現金のみだという。
しかも、見積もりよりも少し多めに預けて、最後に精算して返金される方式らしい。
郵便局の口座にはある程度の金額を事前に確保しておいたのだが、一度におろせる額には上限があるはずだ。
たしか50万円だったか。
それ以上おろせなければ、他の金融機関からもおろして合わせよう。
郵便局へ着き、窓口で相談してみると、書類を1枚書けば上限額を変更できるという。
その制度、もう少し周知されていても良いのではないかと思う。
ともかく書類を書いて、ATMで必要な額をおろすことができた。
ついでにショッピングモールで妻の好きだった菓子を買い、祭壇に供えることにした。
棺に入れる洋服にしても、この供物にしても、自分がこんなに非科学的な行動を取るとはまったく想像していなかった。
だが、考えてみると、遺された者の悲しみを和らげるために試行錯誤を経て確立されてきた手法は、ある意味では科学的と言えるのかもしれない。
恐らく心理学的には何らかの意味付けが可能なのだろう。
そういう意味では、無宗教スタイルではなく、宗教に則った儀式を行う選択をしたのは、自分にとっても良かったのかもしれない。