最悪ではないけれど

先日来、妻が胸痛を訴えていましたが、検査の結果、その原因は胸水ではありませんでした。

 

痛みの原因として考えられるのは、増大した腫瘍が胸膜に触れて刺激している可能性があるとのことでしたが、画像からはその可能性は低く、心因性かもしれないとのことでした。

 

胸膜自体に腫瘍が広がっているような事態を恐れていたので、それよりは良い結果だったと言えます。

 

しかし、今回は腫瘍が増大していたわけですから、3ヶ月ほど使ってきた抗がん剤が効いていないことが明らかになったわけで、再び次の選択を迫られることになります。

 

「病状が数段階進むことを想定していたら、1段階だけだった」というような結果に、つい安心してしまいそうな錯覚を覚えるのですが、確実に病状は進んでいます。

 

想定した最悪の事態よりはマシな結果だったということはこれまでにも何度かあり、その度に少しほっとして、しかし冷静に考えると、決して楽観することはできないという複雑な心境を経験してきました。

 

これは良いことなのか悪いことなのか。

 

今のようにネットが発達する前は、医療者気取りで情報を検索することは難しかったはずです。もちろん、自分勝手に原因を推測することはあったでしょうが、根拠らしきものは今よりは薄かったのではないでしょうか。

 

どこかが痛むとか、調子が悪いとか、本人の主観が出発点なのは同じですが、かつては医療者しか知り得なかった情報にさえアクセスできるようになった今は、不確かな情報が根拠らしきものを身にまとい、もっともらしい姿になってしまいます。

 

本当は検査をするまでははっきりしたことは言えないはずなのに、勝手に確信を持ってしまうのです。

 

妻の場合、このことが痛みをより強く感じる要因となることがあるようです。「やはり○○が原因だったのだ」という確信が、「だからこんなに痛いのだ」という心理につながるようなのです。

 

でも、何も調べなければ、それはそれで不安に苛まれることになるので、「調べる手段があるのに調べない」という選択はなかなか難しいでしょう。

 

また、妻は既にある程度の知識を持っているので、私が調べなければ、勝手に原因を決めつけて、より不安を強くするだけかもしれません。

 

結局のところ、ネットに頼らざるを得ないのでしょうね。