ふと思い立って、スタイルの違う記事を書いてみることにしました。
「第二の患者」としての自分語りです。
よろしければ、お付き合いください。
妻のお節介
「婚活サイトであなたに合いそうな人を見つけておいたから、今度実際に会ってみて。」
こんなことを妻が実際に言う可能性は高くはないが、絶対に無いと言い切ることもできない。
妻が旅立ちの準備に本腰を入れるようになれば、お節介をここまでエスカレートさせないとも限らないのだ。
現在のところは、妻のお節介はさほど珍しくもないものと思われるだろうが、妻との思い出として書き残す意味も兼ねて、まずは実際のお節介の例から書き始めたい。
増えていくシャツ
例えば私の服の購入だ。
私は服を買うのが好きではない。苦手であるとも言える。
しかし、妻は私の服を買いたがる。以前からあったその傾向は、最近、さらに強くなった。
私自身はシャツは2、3枚あれば十分だと思っている。
というより、それより多くなれば、前回はどれを着たのか、今日はどれを着れば良いのかがわからなくなってしまうのだ。だから、あまり数を増やしたくない。
スティーブ・ジョブズはいつも決まったデザインの服しか着なかったという逸話があるらしいが、私もできればそうしたいくらいだ。
しかし、いつの間にかシャツは増えている。妻が勝手にネットショッピングで購入するのだ。
以前からとうに私のキャパシティを超える枚数があったのだが、最近、さらに枚数が増えた。
既に身支度の度にシャツの選択を妻に委ねるようになっている私にとっては、今さら何枚か増えたとしてもさして影響はないのだが。
ぶかぶかのスーツ
年明けにはスーツを何着か購入した。
それまで着ていたスーツはまだ傷んでいなかったので、当分は買うつもりがなかったのだが、昨年の末頃から妻が「ぶかぶかに見える」と言い出し、買い替えをしきりに勧めるようになった。
それらはオーダーメイドの高級品ではないが、きちんとサイズを図って買ったものだ。「ぶかぶか」なものを買った覚えはない。
体重は以前より落ちてはいるが、「ぶかぶか」に見える程の減少ではないはずだ。考えられる原因は、「流行のデザインが変わった」ということだろう。
まだ着られるものを買い替えなければならないという状況を作り出すアパレル業界の商業主義に対しては一言物申したいのだが、それで妻の気が済むのならと自分に言い聞かせ、買い替えることに同意した。
ただし、正規の値段では購入したくないというのが私のせめてもの抵抗だ。折良く年明けに初売りセールをやっていたので、専門店を何軒かはしごして、すべて半額で購入したのだった。
「これでしばらくはスーツを買わなくていいね」と満足気な妻を見ると、主義に反しても買い替えて良かったと思えた。
妻の気遣い
さて、上に挙げた類のお節介ならば、ありふれた話に思えるだろう。しかし、私の服を買おうとする妻の意欲が高まったのは、恐らく妻が私との別離を意識し始めたことと無縁ではない。
妻は口には出さないが、自分が去った後、服を買うのが苦手な私がしばらく服を買わなくて済むようにと気を遣ってくれているのだろうと思う。
独りになれば、着用するシャツの選択は難しくなるだろうが、ローテーションを決めてしまえば、なんとか対処できるだろう。
しかし、その一方で、妻の気遣いが私を困らせることもある。後添えについて妻が気にかけていることがその最大のものだ。
再婚を願う妻
あの日、がんの再発という検査結果が出た後、それを私に告げた後に妻が口にした言葉は、
「ごめんね。あなたを不幸にしてしまう。私がいなくなったら、できるだけ早く再婚してね。」
というものだった。辛い現実に戸惑い、崖から突き落とされたように感じていた私に、妻のその言葉が追い打ちをかけたのだった。
妻を失うかもしれないという恐怖に支配され、「その時」のことを考えることさえ拒絶したいのに、妻の言葉は私に「その後」を意識させる。妻はなぜそんなことを言うのだろう。
初めはショックで混乱しているせいなのかと思っていたのだが、少し時間が経って落ち着いてからも、妻は私の再婚について口にする。調子が軽くなるという変化はあったが。
妻の提案
例えばテレビを見ている時。
新婚夫婦が赤裸々に語る番組や、街ゆく人の自宅までスタッフがついて行ってインタビューをする番組など、一般の人々の生活が垣間見える番組を好んで視聴している妻は、出演した夫婦の馴れ初めを聞いては私にあれこれと提案をしてくる。
「共通の趣味だって。あなたも家にこもってばかりいないで、外に出る趣味を持ったほうがいいんじゃない?」
「婚活サイトだって。最初から条件に合っている人の方が、案外うまくいくのかもね。」
結婚と幸福
それにしても、妻はなぜ私の再婚をそれほどまでに願うのだろうか。
結婚すれば幸せになれるとは限らないじゃないか。
独身でも幸福だと感じている人はたくさんいるだろうし、妻に先立たれた夫が必ずしも不幸だとは言えないのではないか。
妻との思い出を胸に後の人生を歩めるとしたら、それは幸福だと言えるかもしれないじゃないか・・・これはただの強がりかもしれないが。
ここまで書いてきて、気づいたことがある。
妻が「結婚=幸せ」と考えるのは、自分自身がそう感じていたからではないだろうか。
だからこそ、それが失われた後の私の身を案じ、ことあるごとに再婚を勧めるのかもしれない。
そう考えると、妻の言葉は「幸せな結婚生活だったよ」という意味に解釈できる。
これまでは妻が再婚を勧めてくるたびに困惑していただけだったが、これからは少し違った気持ちで妻の言葉を聞くことができそうだ。
妻が忘れていること
ただ、妻が忘れている事実。
それは結婚が幸福に結びつくかどうかは、相手に左右されるということ。
「君以外の人と結婚しても、幸せになれるとは限らないんだよ。」
この言葉は妻には言わずにぐっと飲み込んでおくことにする。
妻の未練となり、安心して旅立てなくしてしまうかもしれないから。