「その時」の後

グリーフ体験記④

 

 

「今までありがとう。楽しかったよ。」そう伝えると、妻の目から一筋の涙が流れ、眠るように息を引き取った・・・こんな最期を想像していたのだが、現実は違っていた。

 

私が病室に着いた時は既に妻の意識はなく、そのまま意識が戻らずに息を引き取ってしまった。

 

息を引き取る・・・ゼーゼーと繰り返していた喘鳴音の間隔が長くなっていき、やがて聞こえなくなった様は、「息を引き取る」という慣用表現が文字通りの意味を表しているように思えた。

 

妻が入院したら、数週間かけて心の準備をする予定だった。

まさかこんなに早いとは思っていなかった。

呼び出しの電話から可能性は示唆されていたのだが、それはあくまで可能性で、朝までに峠を越せると信じていた。

 

しかし、このまま悲嘆に暮れているわけにもいかない。

まだ早朝だが、妻の近親者は遠方のため、すぐに連絡をしておかなければならない。

取り急ぎメールで報せた。

 

葬儀社への連絡も必要だ。

葬儀については事前に2人で話し合い、妻の希望を聞いておいた。

近親者のみで家族葬を行う。

目星を付けておいた葬儀社に連絡した。

 

エンゼルメイクをしている間に、デイルームへ移動して自分の親へ電話をする。

もう起きている頃だろう。

どんなことを話したか、あまり覚えていない。

 

エンゼルメイクが終わり、病室へ戻ると、葬儀社から電話があり、先約があるために今日は対応できないと言われた。

 

テレビでコマーシャルをやっている会社が窓口なのだが、実際に業務を行うのは提携している地元の葬儀社のようだ。

提携業社はこの地域では1社しかなく、他の会社を通しても結局同一の業者に回されるであろうことは事前に調べておいた。

つまり、地元の業者に個別に当たるしかない。

 

家族葬中心の地元の業者を1社だけ見つけておいたので、そこへ連絡すると、そちらも混んでいるのだが、午後になれば葬儀場が空くという。

安置所に一時預け、打ち合わせをすることになった。

 

遺体の搬送を見送ってくれた主治医に礼を言い、病院を後にする。

 

葬儀社に行く途中でコンビニに寄り、サンドイッチを買って一気に口に詰め込んだ。

長い1日は始まったばかりだ。

食べておかなければならない。

 

葬儀社で事前の打ち合わせをする。

妻の近親者が遠方であることを考慮し、通夜を翌日にすることなどはすぐに決断をすることができたが、宗派については迷いが生じた。

 

大手の業者だと、どの宗派も一律の紹介料だったはずだが、実家の宗派を告げると、予想よりお布施が高い。

妻は「できるだけ費用を抑えて」と「宗派はあなたの実家に合わせて」と言い遺していたため、どちらを重視するかで選択が変わってしまう。

一応、実家に相談してみることにした。

 

あまり信心深くない両親だったので、無宗教で構わないと言うと思っていたのだが、実家の宗派で行うことを強く希望された。

しばらく会わないうちに、信心深くなっていたらしい。

年齢のせいか。

 

そして、両親はこちらに来るという。

通夜は明日なので来る必要はないと言っても、頑として譲らない。

この地域には、遺族は葬儀場に泊まるという習慣が残っており、その慣習に従うべきだと言って、自分たちも泊まるという。

 

その様な習慣が無い地域で育った妻は、「泊まらないで帰っていいよ」と言い遺していたのだが、それを伝えても絶対に泊まるべきだ言い続ける。

埒が明かないので、渋々両親の言葉に従うことにした。

なかなか思い通りにはいかないものだ。

 

両親が来るとなると、その前にウィッグを着けなければ。

抗がん剤をやめてから数ヶ月、まだ髪は伸びきっていなかった。

そんな姿を見せるのは忍びない。

葬儀場へ通されてすぐにウィッグを着けてやった。

 

両親が到着し、仮通夜というものを行った。

すると僧侶の読経に合わせて、両親も声を出して経を読むではないか。

いつの間にこんな風になっていたのか。

ほとんど無宗教に近い両親だったのに。

 

葬儀場に泊まる理由の1つは、線香を絶やさないためだ。

かつては親戚が寺に集まって、麻雀などをしながら線香番をしたものだが、今は12時間も燃え続ける線香があり、寝ずの番は必要無いという。

 

しかし、父は線香番をすると言って聞かず、遺体の側に陣取って動こうとしない。

もう好きにさせてやろう。

 

私は翌日に備えて眠ることにした。