何気なくテレビを見ていると、思わぬ時に聞きたくない言葉が聞こえてきてしまいます。
一時でも辛い現実を忘れたいと思っているのに、否応なしに現実に引き戻され、チャンネルを変えたり、テレビを消したりすることになります。
その病名は本当に言う必要がありますか?
恐らく「がん」というのは、テレビを演出する上でとても便利なツールなのでしょう。
フィクションでもノンフィクションでも、「がん」はかなり頻繁に登場します。
それは単に「がん」がそれだけ身近なものになったからというだけではないような気がします。
ドラマだったら、簡単に悲劇にできますし、タイムリミットを設けて緊迫感を出したりできるかもしれません。
ノンフィクションでも基本的には同様で、「闘病をしながら○○」とか、一定期間取材すれば、お手軽に涙を誘う感動モノが作れそうです。
もちろん、真摯な態度で「がん」に向き合う制作者やそういう作品もたくさんあるでしょう。
でも、安易に「がん」を利用しているとしか思えないような作品も少なくありません。
本来は「がん」に関する言葉ではありませんが、「感動ポルノ」という言葉が頭に浮かびます。*1
「嫌なら見なければいいのに・・・」というわけで、そのような番組は見ないようにしているのですが、それでもテレビを観ている限り「がん」からは逃れられません。
民放の場合は保険のCMが頻繁に流れ、「がん」の恐怖をあおってきます。
関係のない番組を見ているはずなのに、その合間に「がん」をテーマにした番組のスポットCMが流れたりもします。
映画やドラマを間接的に宣伝するために、適当な患者を見つけてきて、ニュース番組で特集として放送する・・・なんていうこともありそうです。
最近はそのようなものに対して、だいぶ耐性ができてきましたが、やはり気持ちの良いものではありません。
民放よりもNHKを視聴する割合が自然と高くなりました。
でも、NHKも油断できないんですよね。
ニュースの前後にドラマのスポットが流れたりして、「がん」という言葉が耳に飛び込んできたりします。
それから、例えば朝ドラ。
深刻な病や闘病生活を詳しく描写する作品があったりして、途中で視聴を止めてしまったこともあります。
『エール』は最後まで見ていたのですが、最終週に「乳がん」という言葉が出て来て、今まさに妻が乳がんを患っている身としては、どうしても気になってしまいました。
モデルとなった方が乳がんで亡くなられたそうなので、必要と言えば必要な表現なのかもしれませんが、朝ドラに求められるものとして、リアルさは優先順位が低いように思います。
現に『エール』でも、かなり脚色を加えたであろうと思われる場面がありました。
でも、奥様の病名はモデルを忠実になぞったようです。
例えば、『ゲゲゲの女房』では、病に倒れた漫画家をモデルとした人物を、作品内では家庭の事情で漫画家を諦めたことにしていたようです。
エールのあの場面ならば、「病に伏して自宅で療養していました」というような表現でも十分だったのではないでしょうか。
私や妻のように、辛い現実から逃避したくて朝ドラを観ている者にとっては、少しでもマイルドな表現にしてもらえるとありがたいんです。
「そんな細かいことまでいちいち気を遣っていられないだろう」とか「そういう苦情がテレビをつまらなくしているのだ」という意見もあるでしょう。
でも、その表現は本当に必要なものなのか、よく吟味した上で削除したり変更したりしたものであれば、作品の本質を損なうものではないでしょうし、そうして残されたものはより本質的に素晴らしい作品になるのではないかと思うですが、いかがでしょう。
逆に「励まされる」と感じる人もいるかもしれませんから、あまり強くは主張できませんけどね。