抗がん剤治療中は副作用が出て、それまで当たり前に行っていたことに困難を感じることが多くなります。
「生活の工夫カード」には、掃除、炊事、買い物などの日常生活についても収録されており、参考になります。
それらのカードを見てみると、「無理をせず、出来る範囲で」というのが共通する考え方のように思います。
「幸せ」とは「日々の生活」かもしれない
妻は体力の低下などがあり、掃除は以前のクオリティーを維持するのがかなり難しくなりました。
掃除機が重くて辛いようです。
フロアワイパーとコードレス掃除機を使うことで、かなり楽になりましたが、以前のようにはいきません。
しかし、夫である私が休日に(妻にとっては重い、しかし一般的な)掃除機をかけるので、その間、隅のほこりに少しだけ目をつぶれば、大きな問題ではありません。
妻にとって大きな問題は犬の散歩と料理です。
犬の散歩は、以前は1日2回妻が行っていましたが、朝の散歩が辛くなり、朝は私が行くようになりました。
夕方の散歩も距離が短くなっています。
「全部代わってあげればいいのに」と思われるかもしれませんが、妻にとっては愛犬と歩くことは楽しみでもあるため、できるだけ楽しみを奪いたくありません。
休日は私がリードを引くので、ゆっくりと散歩を楽しめます。
料理はさらに大きな問題です。
妻は料理が好きで、買い集めたレシピ本は結構な冊数になります。
「生活の工夫カード」には「レトルト食品や冷凍食品も上手に使ってみましょう。」とあるのですが、最初はとても嫌がっていました。
でも実際に使ってみると、今のレトルト食品や冷凍食品はとても良く出来ていて、便利なことが分かりました。
ただ、うちにとっては味が濃すぎる場合が多く、あまり積極的には使えません。
また、料理をするという行為自体も楽しみにしている妻にとっては、その楽しみが薄れてしまうことが嫌なようです。
現在の妥協策は「体調が良い時に作り置きをしておく」という方法で、そのストックが切れた時は冷凍食品を使って凌ぐという具合です。
これも「夫が代わってあげればいいのに」と思われるかもしれませんが、夫に任せるよりもレトルト食品や冷凍食品を使う方が、少しでも料理をしている気分が味わえるため、出来る限り自分でやりたいようです。(夫が料理が下手だというのも大きな理由ではありますが。)
買い物も問題です。
以前はショッピングを楽しんでいましたが、疲れやすくなっているので、難しくなりました。
衣類などはネットショッピングでも楽しめるようですが、食料品は自分の目で見て買いたいようです。
しかし、我が家からスーパーまでは遠く、車で行く必要があります。
でも、痛み止めが強い眠気を催すことがあるので、妻に長時間の運転をさせることはできません。
週末に一緒に買い出しに出かけるようになりました。
また、歩き回ると疲れるので、以前のような気ままな買い物ではなく、リストを作っておいて順番も考えながら店内を歩くようにしています。
でも、やがて2人で出かける週末の買い物は数少ない楽しみの1つになりました。
ゆっくり犬の散歩をしてから出かけ、街で軽い昼食を摂り、買い物をして帰る。
これがいつもの週末になりました。
再発が分かって少し経った頃、もうチャンスが無いかもしれないと思い、抗がん剤を少し休んで、念願だった京都へ旅行したことがあります。
それは良い想い出ではありますが、旅行後、妻はあまり遠出を望まなくなりました。
その頃、妻が呟いたのが「『幸せ』って『日々の生活』のことなんだなぁって思うようになったんだよね・・・」という言葉です。
特別なことよりも、当たり前の日常を積み重ねられることの方が大事だと考えるようになったようです。
そういう意味で、週末の買い物は私たちにとってささやかな、でもとても貴重な幸せの1つでした。
しかし今、その日常にさえ制限が加えられています。
人との接触を極力減らすためには、スーパーが空いているうちに買い物を終えなければなりません。
犬の散歩を短めに済ませて早く出かけます。
買い物はいちいち吟味することをせずに手早く済ませなければなりません。
そして、お昼までに帰宅して、昼食は家で食べます。
今はこれで我慢するしかありません
「人との接触回避は2022年まで必要かもしれない」という予測もあります。
ハーバード大学の予測ですから、日本ではもっと早く収まるかもしれませんが、逆に長引くかもしれません。
その時まで、妻の腫瘍を抑え込んでくれる抗がん剤が途切れずに治療が続いてくれるかどうか。
また元のように週末の買い出しを楽しめる日が一日も早く訪れて欲しいと思っていますが、そのことにとらわれていては、失われたものばかりを数えることになってしまいます。
私たちの「当たり前」のレベルはさらに低下してしまいましたが、今はその中でさらに小さくなった幸せを拾い集めるしかないのでしょう。